法学勉強日記−雑記

法学部としての勉強内容を中心に、自分の思考整理に利用しています

法の支配を分かりやすく考える

まず法の支配が極めて歴史的な概念で、多義的な概念であることに留意する必要がある。時代や国、論者によって様々な理解が取られているので、そもそも理解するのが難しいのである。

 

法の支配とは原則として専断的な国家権力の支配を廃し、権力を法で拘束することであり、権力を分割・制限して国民の権利を保障するという立憲主義と深く関わりを持つ。

ここで、法の支配がいう「法」とは何か、という問題が生じる。

近代においてはまず法とは国民の自由を保護する規範であるという理解が取られた。前近代においては法が身分秩序を前提としたものであったため、立憲主義実現のため一定程度前進した理解であるが、判例法国家においては時代との整合性が問題となる。

また法とはその国の最高法規であるという理解が一般的であろう。法の支配の概念を生み出したイギリスを例にとって考えてみる。

イギリスは不文憲法の国であり、全法秩序は基本法、コモン・ロー、法律からなる。イギリスにとって最高法規とは基本法のことを指し、この基本法というのは裁判所が具体的な紛争について判決を下す際に発見される法である判例によって構成される。すなわち裁判所が法の支配を実現しているのである。19世紀後半にA・ダイシーは法の支配は以下の3つの内容を持つとした。それは

①専断的権力の支配を排した、基本法の支配

②行政権も一般人と同じ法に服し、通常の裁判所の管轄権に服すること

③具体的な紛争についての裁判所の判決の結果の集積が基本法の一般原則となること

である。イギリスにおいて現代まで影響を与える法の支配概念の理解であるが、19世紀の新自由主義全盛の時代における理解であるため、福祉国家化が進んだ現代のイギリスにおいては妥当しないのではないかという指摘もある。

一方、アメリカでは、この法の支配概念が違憲審査制の成立に大きな影響を与えた。アメリカは成文憲法を持つので、法の支配を成文憲法で実現しているが、法を具体的事案に応じて発見するという違憲審査制を早くから承認しており、裁判所が法の支配実現に大きな役割を持つことを示している。

以上のように法の支配の概念は判例法を重視する判例法国家において成立・発展してきたものであるため、制定法主義をとる日本において法の支配の概念は採用されているのかという疑問が生じる。結論からいうと日本でも法の支配の概念は採用されているという理解が一般的であるが、それは上記のようなダイシー流の理解ではない。日本の法の支配の内容として、

①人権保障

憲法最高法規

違憲審査制の導入による司法権の重視

などが挙げられるが、問題は③である。上述のように日本は判例法国家ではない。具体的な紛争に応じて法を「発見」する形式は取っていないのである。日本の違憲審査制においては、裁判所が具体的な紛争において問題となる法律が憲法に違反していないかを一般的に「判断」する形式をとっている。一般的な判断をするということは、なにぶん違憲審査権の行使に消極的にならざるを得ないのであり、現に日本においては積極的な違憲審査権行使がなされていない。アメリカの違憲審査権が法の支配に与える役割を日本の違憲審査制にも当てはめて良いのか、問題となりうるところである。

 

むっず。