法学勉強日記−雑記

法学部としての勉強内容を中心に、自分の思考整理に利用しています

西洋政治思想史の概観ーその1

レジュメを見ながら、自分の言葉でまとめる。自分の理解が含まれているので正しくない所もあるかもしれない。

 

 

古代ギリシア都市国家(ポリス)は政治の原点といって良い。近代そして現代の政治観にまでその思想的根拠として援用されてきた。

先駆者はやはりアリストテレスである。彼はポリス(公共空間)と私的空間(オイコス)を分離し、公共善実現のためのポリスこそ重要であると説いた。

*これは近現代における政治(国家)と経済(市場)、あるいは民主主義と自由主義の対比構造に通ずるところがある。どちらを重要視するのか、あるいはその両立をいかにして実現するのか、それが西洋政治思想史の中での重要なテーマであったと言える。

 

思想的な分類として、ゲヴァルトによる主権の独占によって社会を構成するべきとする考え方と、ゲヴァルトなしの自由な社会を実現すべきとする考え方がある。前者の代表者にホッブズウェーバーマルクス、後者の代表者にロックスミスミルがいる。

 

ホッブズ性悪説をとり、自然状態での人間の暴力性を憂慮してゲヴァルトによって主権が独占された政治、独裁政治を理想とした。しかし、国家は国民の自由を実現する存在であり、国民は秩序の維持を妨害しない範囲では自由を保証される(「政治からの自由」)。

 

一方ロック性善説をとり、人々は所有権を元に交換経済を営むとし、自然状態で既に社会秩序を形成していると考えた。これは、近代自由主義の暗黙の前提となる。

その経済的な関係をさらに前面に押し出したのが、スミスである。彼は、経済社会において私的な利益を追求することが結果として社会を前進させるとした。労働には、他者との関係の中でシンパシーを働かせ、モラルを高める力すらあるというのである。

同じ系譜に属するものとしてベンサムがいる。彼は功利主義の巨頭であり、最大多数の最大幸福を説いた。個人の幸福(善)の総計が社会全体の幸福につながるというのである。個人の快楽を増進させるための権力構造として、市場原理の積極的受容とそれでまかないきれない部分への行政政府の介入を主張した。

 

市場原理を重視しすぎることへの弊害を指摘したルソーは、近代を否定しながらも全ての人が自由で平等な共和制国家の設立を掲げた。若き日のルソーが理想としたのは古代ギリシャのポリスである。共通善は私的な利益とは次元が異なると考えたのである。

ルソーは自然状態において人間は「幸福な野蛮人」であると考えた。平等で、互いに思いやりの感情を持つのである。しかし、その状態は所有権の発生によって崩壊する。それによって不平等が生じ、人々は疎外感を感じるようになる。これこそが商業社会の墜落であると考えた。一方で専制政治も批判していたルソーはいかにして、商業社会の病理を克服しながら共和国が実現できると考えたのか。

この答えとしてルソーは契約した人民全体の意思である一般意志の下に人々が政治に参加すれば、自己統治が実現でき、必ずや正しい方向に向かうことができると考えた。

またルソーは人民の持つべき自由を理想の自己の実現を目指す自律と捉えたのであるが、バーリンはそれを積極的自由に分類し、自由主義においては消極的自由の方が重要ではないのかとして批判した。

 

歴史哲学において、人民主権や中央集権的国家体制の確立、国民国家の形成などを果たしたフランス革命が与えた影響は大きい。フランス革命を批判したバーク、人倫国家完成への通過点としたヘーゲルフランス革命によって資本主義が発展したことへの批判から、近代自由主義を解体し共産主義国家を設立することを構想したマルクスなどについて記述する。

バークはフランス革命のような刷新的な事変は漸進的に発展してきた歴史に対抗するものであるとして批判した。ただし彼は復古主義に立つものではない。過去の「継承」を重視したのだ。いわゆる保守主義の誕生である。

ヘーゲルフランス革命によって、経済的市民が解放され経済社会が誕生し、人々は自由を得たが、それは一方で人々を家族の絆から切り離し、疎外させた。経済社会は弁証法歴史観の位置付けでは途中段階であり、必ずさらに高次の次元である人倫国家が実現すると説いた。人倫国家は君主権、執行権、立法権によって構成されるとしたが、これは19世紀プロイセン国家によって現実のものとなっているので単なる理念ではない。

マルクスフランス革命によって実現されたのはシトワイヤン(公民)の解放ではなく、ブルジョア(経済市民)の解放のみであったとし、そこから発展した資本主義の問題性および現実的な変革としての共産主義を構想した。マルクス唯物論歴史観をとり、社会構造が意識を規定すると考えたため、社会構造すなわち資本主義体制の変革を求めたのである。資本主義においてはプロレタリアートと資本家の格差は理論的に拡大し続け、プロレタリアートは労働や他者、および自己から疎外され、無計画な市場によって資本の淘汰が起こり、寡占市場が形成されるといった問題が最終的に露呈し、必然的に共産主義に移行すると考えた。理念的には万人が自由かつ平等に疎外なき労働を実現できるはずであるが、それは国家による指導と統制というゲヴァルト的支配によって実行されるものだった。

 

ルソーのような問題意識から近代自由主義の解体へと向かったマルクスに対して、自由主義を維持しながら疎外の克服を目指した思想家たちもいる。

トクヴィルは境遇の平等というデモクラシーによって、個人の自由が平等に達成されうると考えたが、平等によって逆に均質化が進み、多数者の暴政が生じる危険があるため、それを拒むための中間団体の結成を重視した。また均質化の影響として個人が自己の領域に閉じこもるという個人主義の理解もとった。これが進行すれば自由でいたいながらも指導されたい人民の意思も相まって専制的な行政権力が出現し、穏和な専制による支配が起こるのではないかと危惧した。

同じ近代的自由主義の保護者として功利主義者のミルがいる。彼は、人間の幸福は精神的快楽にあるとし、個人の尊厳を高めるため、危害原理を働かせた上で自由を最大限実現することを主張した。トクヴィルが危惧した多数者の専制も批判した上で民主主義の拡大も主張した。

 

近代自由主義を新たな方向から擁護したのはスペンサーである。彼は市場原理に委ねれば、適者生存のメカニズムが働いて、有機体である人間社会は個々人の幸福が最大化するよう進化する、と説いた。この考えは後に優勝劣敗を掲げる植民地支配や人種・民族差別に援用されることとなる。

 

近代合理主義およびキリスト教を批判したニーチェは反政治的人間観を打ち出した。それは理性や奴隷道徳などを身につけていない、人間本来の永劫回帰するデュオニュソス的な欲動、すなわち生それ自体を肯定し、幼子のように自由に新たな価値を創造することを説いた。近代自由主義の中でキリスト教はもはやその存在意義を失っており、人々は心の拠り所を失ったかもしれないが、それを契機として、自由を目指す獅子となり、生を肯定し自由に価値を生み出す幼子のように生きろと言ったのである。