法学勉強日記−雑記

法学部としての勉強内容を中心に、自分の思考整理に利用しています

「主権」について整理する

複雑な議論をするので心して付いてきてほしい。

まず、「主権」の語は「国家主権」のように対外的な独立性を示す文脈で使われることもあれば、「国家における主権」のように対内的な最高性を示す文脈で使われることもある。対外的な独立性とは、国家が一定の領域とそこに居住する人々を排他的に支配する統治権を持っていることである。一方、対内的な最高性とは、統治権を最終的に正当化する「権威」であるとする考え(「正当性原理」)と、国政を最終的に決定する「実力」であるとする考え(「権力的原理」)がある。

君主主権と言われる場合、その正当性は「神」によって担保されるので、権力的原理のみが働き、君主が国政決定の「実力」を神授されているとされる。

国民主権と言われる場合は少々複雑で、「国民」が「国民(Nation)」すなわち「抽象的な統一体」として捉えられるか、「人民(Peuple)」すなわち「実在する個人の集合体」として捉えられるかによって変わってくる。

前者の場合、抽象的な人格としての「国民」は統治権を最終的に正当化する「権威」を有しているという意味で正当性原理が働くが、「国民」は抽象的であるがゆえ、国政を最終的に決定する「実力」は持たず、統治権の行使は「国民」に委任を受けた代表者によって行われる。

後者の場合、実在する個人の集合体としての「人民」は正当性原理においては全国民、権力的原理においては有権者であると想定される。

日本国憲法では「人民」主権の考え方を採用していると考えられ、通説的な見解では権力的原理の契機(表れ)が憲法改正行為に限定されている。これは国家形成のプロジェクトにおいて主権原理が果たした固有の役割を重視し、日常的な「有権者」の決定が「主権者」の決定であると絶対視されないようにとの配慮であろう。

天皇機関説と国家法人説を分かりやすく論述する

明治憲法を立憲的に運用する、すなわち明治憲法によって国家権力を制限して国民の権利を保護することを学的に支持・正当化したのが立憲学派の天皇機関説である。

まず、天皇機関説国家法人説を前提とする。国家法人説とは、国家は一種の法人であり、法的権利すなわち統治権の主体であるが、国家そのものは抽象的な概念であるため、具体的な各国家機関(君主、議会、裁判所など)を通して統治権を行使するという考え方である。

天皇機関説においては、統治権は「国家そのもの」に属するとし(国家法人説)、天皇は国家の「最高機関」であるとした。その意味で天皇の意思は「最高機関意思」すなわち「主権意思」であるのだが、重要なのは国家機関である以上、天皇といえども機関権限を定める法的ルール、すなわち憲法の定めるルールに従って統治権を行使しなければならないとしたことである。

これは統治権が「天皇その人」に属するから、憲法のルールに影響を受けないとする天皇主権説と真っ向から対立する考え方であった。

 

 

法の支配を分かりやすく考える

まず法の支配が極めて歴史的な概念で、多義的な概念であることに留意する必要がある。時代や国、論者によって様々な理解が取られているので、そもそも理解するのが難しいのである。

 

法の支配とは原則として専断的な国家権力の支配を廃し、権力を法で拘束することであり、権力を分割・制限して国民の権利を保障するという立憲主義と深く関わりを持つ。

ここで、法の支配がいう「法」とは何か、という問題が生じる。

近代においてはまず法とは国民の自由を保護する規範であるという理解が取られた。前近代においては法が身分秩序を前提としたものであったため、立憲主義実現のため一定程度前進した理解であるが、判例法国家においては時代との整合性が問題となる。

また法とはその国の最高法規であるという理解が一般的であろう。法の支配の概念を生み出したイギリスを例にとって考えてみる。

イギリスは不文憲法の国であり、全法秩序は基本法、コモン・ロー、法律からなる。イギリスにとって最高法規とは基本法のことを指し、この基本法というのは裁判所が具体的な紛争について判決を下す際に発見される法である判例によって構成される。すなわち裁判所が法の支配を実現しているのである。19世紀後半にA・ダイシーは法の支配は以下の3つの内容を持つとした。それは

①専断的権力の支配を排した、基本法の支配

②行政権も一般人と同じ法に服し、通常の裁判所の管轄権に服すること

③具体的な紛争についての裁判所の判決の結果の集積が基本法の一般原則となること

である。イギリスにおいて現代まで影響を与える法の支配概念の理解であるが、19世紀の新自由主義全盛の時代における理解であるため、福祉国家化が進んだ現代のイギリスにおいては妥当しないのではないかという指摘もある。

一方、アメリカでは、この法の支配概念が違憲審査制の成立に大きな影響を与えた。アメリカは成文憲法を持つので、法の支配を成文憲法で実現しているが、法を具体的事案に応じて発見するという違憲審査制を早くから承認しており、裁判所が法の支配実現に大きな役割を持つことを示している。

以上のように法の支配の概念は判例法を重視する判例法国家において成立・発展してきたものであるため、制定法主義をとる日本において法の支配の概念は採用されているのかという疑問が生じる。結論からいうと日本でも法の支配の概念は採用されているという理解が一般的であるが、それは上記のようなダイシー流の理解ではない。日本の法の支配の内容として、

①人権保障

憲法最高法規

違憲審査制の導入による司法権の重視

などが挙げられるが、問題は③である。上述のように日本は判例法国家ではない。具体的な紛争に応じて法を「発見」する形式は取っていないのである。日本の違憲審査制においては、裁判所が具体的な紛争において問題となる法律が憲法に違反していないかを一般的に「判断」する形式をとっている。一般的な判断をするということは、なにぶん違憲審査権の行使に消極的にならざるを得ないのであり、現に日本においては積極的な違憲審査権行使がなされていない。アメリカの違憲審査権が法の支配に与える役割を日本の違憲審査制にも当てはめて良いのか、問題となりうるところである。

 

むっず。

西洋政治思想史の外観−全体主義に向かって

ここからは全体主義を見据えながら、各思想家を整理していく。

 

まずはウェーバーである。彼はなぜキリスト教を思想的背景とする国が多い西欧世界で資本主義が成立・発展したのかを解き明かそうとした。その真髄はカルヴァン派の「予定説」を元にした天職の思想である。禁欲に、ひたすら信仰と労働に励むことが求められたことによって資本の蓄積が起こり、いつの日か利潤追求のみが目的化し、資本主義が成立したと考えた。

ウェーバーは政治的支配の形態として伝統的支配、カリスマ的支配、合法的支配の3つを挙げた。このうち、合法的支配については、多様な価値を持った人々が共存する方法としての法秩序への信仰を合理化の根拠とし、その実行のための体制として官僚制があるとした。官僚制は、多様な価値に無関心であるが、どの価値を重視するかは政治の役割であるとし、大戦直後の諸価値が葛藤しているドイツにおいては卓越した才能を持ったカリスマ的指導者による統治、指導者民主主義を理想とした。このとき指導者は人民投票によって選ばれるので、あくまで専制政治ではないとした。

 

フロイトは理性的個人という近代的人間観の解体を促した。性的な欲動であるエスが、それを制しようとする自我に勝り、社会規範や道徳を取り込んだ超自我によって抑制されると考えた。また「生の欲動」(エロス)と「死の欲動」(タナトス)を対置し、両者の凶暴性から第一次世界大戦を説明した。性悪説の立場に立っている点で、ホッブズに通ずるところがある。彼からすると人間根本はそんなにいいものではないのである。

 

ここで第一次大戦以後のドイツの動向を整理しておく。ドイツは第一次大戦において敗北し、ヴェルサイユ体制の中で経済は麻痺したが、25年ごろには大戦前の工業生産水準を回復した。その時はまだ威信を保っていた下層中産階級がその後の恐慌によって失墜し、ナチスの支持基盤に流れ込んでいくこととなる。

第一次大戦は総力戦であったが、これは戦争が国民国家同士の戦いであり、政治の道具となったことを示していた。総動員国家を肯定したのはユンガーである。彼は生活世界の戦争化という総力戦が高次の運動であり、総動員体制に寄与する国民こそ新たな英雄であると捉えた。

西洋政治思想史の概観ーその1

レジュメを見ながら、自分の言葉でまとめる。自分の理解が含まれているので正しくない所もあるかもしれない。

 

 

古代ギリシア都市国家(ポリス)は政治の原点といって良い。近代そして現代の政治観にまでその思想的根拠として援用されてきた。

先駆者はやはりアリストテレスである。彼はポリス(公共空間)と私的空間(オイコス)を分離し、公共善実現のためのポリスこそ重要であると説いた。

*これは近現代における政治(国家)と経済(市場)、あるいは民主主義と自由主義の対比構造に通ずるところがある。どちらを重要視するのか、あるいはその両立をいかにして実現するのか、それが西洋政治思想史の中での重要なテーマであったと言える。

 

思想的な分類として、ゲヴァルトによる主権の独占によって社会を構成するべきとする考え方と、ゲヴァルトなしの自由な社会を実現すべきとする考え方がある。前者の代表者にホッブズウェーバーマルクス、後者の代表者にロックスミスミルがいる。

 

ホッブズ性悪説をとり、自然状態での人間の暴力性を憂慮してゲヴァルトによって主権が独占された政治、独裁政治を理想とした。しかし、国家は国民の自由を実現する存在であり、国民は秩序の維持を妨害しない範囲では自由を保証される(「政治からの自由」)。

 

一方ロック性善説をとり、人々は所有権を元に交換経済を営むとし、自然状態で既に社会秩序を形成していると考えた。これは、近代自由主義の暗黙の前提となる。

その経済的な関係をさらに前面に押し出したのが、スミスである。彼は、経済社会において私的な利益を追求することが結果として社会を前進させるとした。労働には、他者との関係の中でシンパシーを働かせ、モラルを高める力すらあるというのである。

同じ系譜に属するものとしてベンサムがいる。彼は功利主義の巨頭であり、最大多数の最大幸福を説いた。個人の幸福(善)の総計が社会全体の幸福につながるというのである。個人の快楽を増進させるための権力構造として、市場原理の積極的受容とそれでまかないきれない部分への行政政府の介入を主張した。

 

市場原理を重視しすぎることへの弊害を指摘したルソーは、近代を否定しながらも全ての人が自由で平等な共和制国家の設立を掲げた。若き日のルソーが理想としたのは古代ギリシャのポリスである。共通善は私的な利益とは次元が異なると考えたのである。

ルソーは自然状態において人間は「幸福な野蛮人」であると考えた。平等で、互いに思いやりの感情を持つのである。しかし、その状態は所有権の発生によって崩壊する。それによって不平等が生じ、人々は疎外感を感じるようになる。これこそが商業社会の墜落であると考えた。一方で専制政治も批判していたルソーはいかにして、商業社会の病理を克服しながら共和国が実現できると考えたのか。

この答えとしてルソーは契約した人民全体の意思である一般意志の下に人々が政治に参加すれば、自己統治が実現でき、必ずや正しい方向に向かうことができると考えた。

またルソーは人民の持つべき自由を理想の自己の実現を目指す自律と捉えたのであるが、バーリンはそれを積極的自由に分類し、自由主義においては消極的自由の方が重要ではないのかとして批判した。

 

歴史哲学において、人民主権や中央集権的国家体制の確立、国民国家の形成などを果たしたフランス革命が与えた影響は大きい。フランス革命を批判したバーク、人倫国家完成への通過点としたヘーゲルフランス革命によって資本主義が発展したことへの批判から、近代自由主義を解体し共産主義国家を設立することを構想したマルクスなどについて記述する。

バークはフランス革命のような刷新的な事変は漸進的に発展してきた歴史に対抗するものであるとして批判した。ただし彼は復古主義に立つものではない。過去の「継承」を重視したのだ。いわゆる保守主義の誕生である。

ヘーゲルフランス革命によって、経済的市民が解放され経済社会が誕生し、人々は自由を得たが、それは一方で人々を家族の絆から切り離し、疎外させた。経済社会は弁証法歴史観の位置付けでは途中段階であり、必ずさらに高次の次元である人倫国家が実現すると説いた。人倫国家は君主権、執行権、立法権によって構成されるとしたが、これは19世紀プロイセン国家によって現実のものとなっているので単なる理念ではない。

マルクスフランス革命によって実現されたのはシトワイヤン(公民)の解放ではなく、ブルジョア(経済市民)の解放のみであったとし、そこから発展した資本主義の問題性および現実的な変革としての共産主義を構想した。マルクス唯物論歴史観をとり、社会構造が意識を規定すると考えたため、社会構造すなわち資本主義体制の変革を求めたのである。資本主義においてはプロレタリアートと資本家の格差は理論的に拡大し続け、プロレタリアートは労働や他者、および自己から疎外され、無計画な市場によって資本の淘汰が起こり、寡占市場が形成されるといった問題が最終的に露呈し、必然的に共産主義に移行すると考えた。理念的には万人が自由かつ平等に疎外なき労働を実現できるはずであるが、それは国家による指導と統制というゲヴァルト的支配によって実行されるものだった。

 

ルソーのような問題意識から近代自由主義の解体へと向かったマルクスに対して、自由主義を維持しながら疎外の克服を目指した思想家たちもいる。

トクヴィルは境遇の平等というデモクラシーによって、個人の自由が平等に達成されうると考えたが、平等によって逆に均質化が進み、多数者の暴政が生じる危険があるため、それを拒むための中間団体の結成を重視した。また均質化の影響として個人が自己の領域に閉じこもるという個人主義の理解もとった。これが進行すれば自由でいたいながらも指導されたい人民の意思も相まって専制的な行政権力が出現し、穏和な専制による支配が起こるのではないかと危惧した。

同じ近代的自由主義の保護者として功利主義者のミルがいる。彼は、人間の幸福は精神的快楽にあるとし、個人の尊厳を高めるため、危害原理を働かせた上で自由を最大限実現することを主張した。トクヴィルが危惧した多数者の専制も批判した上で民主主義の拡大も主張した。

 

近代自由主義を新たな方向から擁護したのはスペンサーである。彼は市場原理に委ねれば、適者生存のメカニズムが働いて、有機体である人間社会は個々人の幸福が最大化するよう進化する、と説いた。この考えは後に優勝劣敗を掲げる植民地支配や人種・民族差別に援用されることとなる。

 

近代合理主義およびキリスト教を批判したニーチェは反政治的人間観を打ち出した。それは理性や奴隷道徳などを身につけていない、人間本来の永劫回帰するデュオニュソス的な欲動、すなわち生それ自体を肯定し、幼子のように自由に新たな価値を創造することを説いた。近代自由主義の中でキリスト教はもはやその存在意義を失っており、人々は心の拠り所を失ったかもしれないが、それを契機として、自由を目指す獅子となり、生を肯定し自由に価値を生み出す幼子のように生きろと言ったのである。